排水溝(仮)

排水溝のネットにたまったゴミみたいな気持ち、という意味です。英語学習に非常に苦慮しているので、その一環として拙い英語で記事書くかも。書かないかも。書いても消すかも。笑

青春のシンボル

あまりに「自分の中の生ゴミをただ書いた」って感じの文章なので増田で投稿しようかと思ったけど、誰が読むものでもないし、増田のお作法もよく知らないし、まだ2つ目の記事ながら一応自分のスペースがあるので、こちらで書く。ちょうど、タイトルも排水溝だし。

 

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歪んだ青春は癒えない。

 

私の場合はニキビだ。つい最近、その長年のニキビが治った。

いや、薬の副効用で治っただけだから、再発するかもしれない。寛解、が正しいか。

よくCMである、可愛い女の子の顔に赤い点がポツポツできて、憂鬱…というものではない。ブラマヨの吉田さんみたいなやつでもない。私のニキビは、Googleで「集簇性ざ瘡(閲覧注意)」と画像検索すると出てくるような類のものだ。

 

20年近く前から始まり、一番酷かったのは小学校卒業から高校卒業にかけて。中学までは、当然虐められまくった。なんかもう見た目が明らかに醜すぎて、捌け口にはぴったりだったのだ。清潔にして顔洗ってればニキビなんてできない。ニキビは不潔の象徴って言う人、大人ですらいるから。仕方ない。

声は出なくなり、自分は怪物だから周りに積極的に関わってはいけないと本気で思っていた。

自殺する気力は無くて、でも学校へ行きたくなくてなんとなく自宅の窓から飛び降りた。足の1本でも折れればと思ったのだ。無傷で服が汚れただけで、私は自傷すらできないんだなと思った。誰にも気づかれなかった。

 

親は、ある時はそんな顔だから友達ができないんだと罵り、ある時は顔のせいで頭もおかしくなったのかと言い、またある時はその顔じゃ就職や結婚に困るからと、愚痴りながらも何十万もする医者へ私を引きずっていき、それでも改善しないのでやっぱりお前が悪いと言い、また数ヶ月に一回くらいは突然「10年もすれば治るわ」と慰めてみたりした。蛇足だが、今はそれを初めて言われてから18年経っている。※1

 

それでもなんだかんだ言って環境を変えたい気持ちは燻っていたようで、高校は周りの誰も行かないところへ進学した。すると誰も虐めてこなくなった。

目立たない地味な高校生だったけど、幸せだった。高2のある日、廊下で「ちょっと!○○の声めっちゃ遠くからでも聞こえるよwww」と言われたときは衝撃だった。親は相変わらずだったけれど。

 

友達ができた高校時代から、私はニキビとの気持ちの上での付き合い方を少しずつ身につけていったと思う。

具体的には、中学時代までは親への恨みから自虐への変化、高校時代からは諦め、開き直り、何にでもこのままぶつかるしかない覚悟。

 

大学以降は、肌のボコボコやブツブツは隠せないけれど、凸凹具合はほんの少しずつ緩和し始めていた(集簇性ざ瘡→重症の膿疱性ざ瘡、くらいになってきた)し、とりあえず赤や紫や黒といった肌の色は化粧で隠せたので、相変わらず自分の顔は嫌いではあったけれど、他人から顔のことで罵られる恐怖はほぼなくなった。就活は厚塗りでどうにかしていた。何とか雇ってくれるところが見つかった。

 

そして今。最近あまりにも生理不順やPMSが酷くてピルを飲み始めたところ、3ヶ月目でニキビが消えた。1週間に1個できるかできないか、くらいのペース。※2

私は鏡が嫌いで化粧以外では殆ど見ないのだが、風呂上がりに髪を乾かしていてふっと自分の顔が目に入った。

ぼっこぼこのクレーターは相変わらずだけれど、「汚い”点”」が無い。赤みも薄くなりつつある。

もともとここ数年は加齢の影響もあり減りつつあったけれど、それでも必ず顔全体に大小合わせて最低20個は常にあった。最盛期?はニキビで顔面が埋め尽くされていて、ニキビのない健康な皮膚というのは顔全体の5%も無かっただろう。それが無くなったのだ。

 

人生の半分を大きく上回る時間を重症ニキビの悩みと過ごしていたので、それが突然ピタリと居なくなって、何かの呪縛から解き放たれた気分にはなった。

 

けれど、親に「10年経てばなくなる」と言われたときの自分の懸念は間違っていなかったと実感した。

 

「10年後の希望を見出したいんじゃない。『今』が辛いんだ。恋愛を始めることのできる子すらいるのに、得体の知れない妖怪として10代を過ごしている今が辛い。そうして過ごした10年後に仮にニキビが治ったとして、今進行しているように思える歪みは直るんだろうか」

 

やはりニキビが治っても歪みは直らなかった。今は客観的にみて「幸せ」と言えるであろう立場だけれど、それでも近しい人たちは私のことをときどき自虐的過ぎるという。私自身も、どうにもできないフラッシュバックのような黒いものがやってきたり、普通に考えれば当然できるはずなのに、過去のことにとらわれてどうしても一歩踏み出せないようなことがたまにあると感じている。コンプレックスはいつの間にか、「ニキビ妖怪顔」そのものから、「ニキビに歪ませられたと感じている(事実かどうかは置いておく)自分の人格」に変わっていた。

「キラキラした青春ではなかったけれど、あの頃があるから今がある」といえるほどの存在にもなっていない。やはり、虐めに遭わないで済むならその方が良いと思っている。

 

せめて、いずれは足枷では全くないただの思い出にできれば、そして同じことで悩んでいる人(自分の子供含む)に会ったとき、その人をそのまま肯定して受け入れてあげられたらと思う。

 

※1…私はもし将来子供を持つことがあれば(ニキビ面が遺伝したら可哀想なのであまり積極的ではないけれど、親兄弟にそこまでの重症ニキビ患者はいなかったので、完全に遺伝「だけ」で決まるものではないと思っています。病院の選択肢もここ5〜10年でかなり増え、ニキビ患者の精神的負担の軽減をきちんと考慮した治療を行う病院も日本各地にあります。ただそれに伴う副作用も考えれば、本当に必要な人のみが知るべきと思うのでここで紹介はしません)親を反面教師にしようとは思っていますし、自分を他にもあらゆる面でサンドバッグにしていた親を許せてはいません。いずれこのことについて然るべき治療を受けたいとも思っています。ただ、義務感からとはいえ高等教育まで受けさせてくれたことには確かに、本当に感謝しているし、あまりにも自分の子供が醜いことを親としても中々受け入れられなかったのだろうと今では考えています。

 

※2…ピルでニキビの症状が軽減する可能性があることは婦人科でも説明されます。ただ、ニキビが悪化する要因には非常に大きな個人差があり、また同じ人でも時期によって異なることがあります。なので、ピルでニキビは必ず良くなるとはいえません。