排水溝(仮)

排水溝のネットにたまったゴミみたいな気持ち、という意味です。英語学習に非常に苦慮しているので、その一環として拙い英語で記事書くかも。書かないかも。書いても消すかも。笑

チャイ4〜6について

チャイ4〜6の中でどれが一番好きかというのはオケにいたころよく話題に上がってた。

なんとなく、私の好みについて書き残す。

 

単純な好み: 6>4>5

聴く頻度: 4>6>5

周りでの人気: 5>6>4

 

まず私の中には、ものすごくざっくりいうと

4: うわぁぁ〜!メンタル大混乱!

5: 優等生

6: 知的に暗い

という印象がある。なんて頭が悪い…

 

4番はまあ、この中では最初だし、作曲者の人生の局面からしても、ずーーーっと錯乱してるよね!4楽章でヒャッハー!!!勝利だぜ!!!っていってたと思ったらそんなうまい話はないぞ、と言わんばかりのファンファーレ来るし。最後はパーンと弾けて終わるけど、もう(オケは疲れ切ってるし)ヤケっぽいよ!でも終始そんな病んでる感じなのがむしろ生の人間ぽくて好きだよ。

 

5番は重苦しくて暗い主題がいやだっていう人もいるけど、なんだかんだ最後は堂々と解決する感じがするし、そこまでの経過も王道だし、アホみたいに難しい場所もそんなには多くない。だから弾くのはすごく楽しいけど、聴くのはディズニー映画観るような気分になる。ディズニーはもちろん好きなんだけど、ナンバーワンにはならない。でも大人気。

 

6番は暗〜〜く始まって暗〜〜く終わるけど、心の暗いエリアを取り出してストーリーにまとめたみたいな、波はありつつも一貫性があると思う。みぞおちをぐっと押すような、緊張感と暗さが攻めてくるようなポイントがはっきりとあるのがいいよね。3楽章ですら最後は下降で終わるしね。やっぱ一番ズシッとくるのは4楽章最後の部分のCbのピチカートだけど。あっ、この曲の2楽章は「自分が弾いた交響曲の中では、弾く上で一番退屈しない2楽章」でもある。あっ、サンサーンスのオルガン付きはノーカン。

 

そんな訳で最初の順番に落ち着く。聴く頻度は4が1番なのは、個人的には他のジャンルの方が聞いている時間は長いし色んな場面で流しやすくて、クラシックの中でもストーリー性が強すぎる交響曲は特に、何かきっかけがないと「これを流すぞ!」とはならないからだ。その点、4は割ときつい鬱期に入ってる時や、苦しくてうわぁ〜〜〜〜という時のテンション、それに目覚ましにぴったりハマるので、これ!というシチュエーションで選ばれることが多い。特にムラヴィンスキー/レニングラードフィルね!マゼール/VPOもいいね!

この3曲でどれが一番という話になると、その破天荒な部分から4は最初に外されがち。でもそんな4番を、私は頼りにしてるよ。

 

〜追記〜

冬の日の幻想もまあまあすきです。

タイトルなし

去年読み始めたマンガの中では『A子さんの恋人』が一番好きで、無性に誰かに布教して語りた〜い!と思ったんだけど、私音信不通にしてもうたんだった。ま、音信不通にしてなくとも自分から布教とかできないな。これだからコミュ障は!わはは

 

以上です(^ν^)

コミュニケーション障害

昔から友達は少ない方だった。中学時代は完全にゼロだった。

またゼロに戻った。戻した。

 

高校以降、楽しかった。やっぱり友達の多い方じゃなかったけれど、悩みを相談し合う人は常に何人かいた。深い関係だった。

 

最近の関係が深くない訳じゃなかっただろう。特にストレスを抱えていないつもりでも、時々友達と会ってなんでもない話をするだけでパッともやが晴れることがあった。でも、疲れるようになってしまったのだ。

 

私はLINEの絵文字や顔文字の使い方、口調は相手のものを真似するようにしている。自分の話は聞かれるまでしない。時々、相槌を打ちながら相手の言葉を整理したりする。同意できないことには、相手の言葉を借りながら自分の意見を返したりする。私の話し方はこんな感じで、なんでもないようにこなしていたことなのに、ここしばらくは終わると体中ぐったりするようになった。

前はなんでもなかったことがどうして急に疲れるようになったのか。

 

私が思うのは、それぞれ環境が変わったからじゃないかということ。

話題が合わないとか、価値観が変わってきたとか、それは間違いではないけどそういうことではない。

 

きちんと自分を保てる人は、自分の話し方があり、自分の意見があり、それが環境の変化に伴って形を変えていくんだろう。

対して私は、前述のように自分自身のコミュニケーションの方法のようなものが無い。だって毎回相手次第で作るものだから。

 

もともと私の友達というのは、バックグラウンドこそそれぞれ違えどみんな何かしらの共通点がある人だった。だから、毎回相手に合わせて中身を変えるといっても全取っ替えみたいなことはしていなかった。誰々はこの部分はこういう所があるから、ここはこうして…と組み替える感じだ。

 

それが、社会に出てみんなバラバラになって、少しずつ変わっていった。だから、少しずつの取り替えだと間に合わなくなった。毎回全取っ替えに近くなった。会社では…なんだか分からないけどセレブな話をする人が多くてついていけないので、快適に仕事ができる程度の付き合いに留めておいて友達にはならない。

 

先週くらいに突然、緊急時に必要な人以外の連絡先を全削除した。LINEもほぼ削除した。メールはiPhoneに変えた時のものから残っていてあまりに怠いので手をつけていない。Facebookメッセンジャーはアンインストールした。Facebookのアカウントは、これから数年以内に転職をする予定があるので、人事用(笑)に取ってある。アプリはずっと前に消したから、そうそう開くこともないけど。

 

多分、毎回全取っ替えするような人じゃなければこうはならない。

私はうまく振る舞えていた自信は割とある。私のことを嫌いな人っていないんじゃないの、と10年以上の付き合いだった友達から評してもらったことがある。

 

でも、私は間違いなくコミュ障だ。

 

・追記

友達ゼロに戻ってしまったけれど、私は中学生の頃に戻る訳じゃない。なんとか道を拓かなきゃと、自分なりの友達を作る方法や、波風立てず自分の意見を伝える方法を誰にも教わらずに考えて、少しは成果を挙げた(うまくやってきた)実績があるからだ。きっとこれからもコミュ障だけど、ノウハウは役に立つ。

カメレオンみたいにやってきた私を本当に気にする人はいない。せいぜい、LINEの返事が来ないな、と時々思うくらいだ。でも、もし万が一誰か心配してくれたら…無下にして本当にごめん。でももう駄目だ。

ただの感想

なんとなく、センター英語の筆記を解いてみた。10年ぶりだ。時間は2/3くらいで。やはりというかなんというか、196→188に落ちていた。ちょっとと言えばちょっとだけど、実際のところ受験なら普通に合否に影響する点数だろう。

 

しかし題材も広告とかディスカッションとか、参考文献も結構最近のやつだし、自分の受験当時と比べると本当に、大分実用性のある英語力に寄せるよう頑張ってるんだな(上から)という印象を受けた。

 

でも、この10年の間に…実際のところ殆どはここ2〜3年の成果なんだけど、

・大学入試のリスニングがやっと→洋画は怪しいが、BBCブルームバーグならほぼ掴めるように

・長文問題でめまい→契約書読み慣れた。文芸はたまに表現でひっかかる

・英作文は一文に数分かかる→英語のままビジネスメールが書けるようになった。ビジネス的文章以外は結構怪しい

・”イエスタデイ”すら喋ると出てこない→相変わらず超苦手だが、相手をイライラさせないコツを少しずつ掴めてきた

TOEICの点数は(役に立たないとはいえ)400点上がった

私は英語ができますなんて今でも恥ずかしくて口が裂けても言えないけど、10年経ってこれだけの進歩があるはずなのに点数は落ちた。

 

大学の研究で使う英語と社会で使う英語は全く違うし、大学の入試なんだから前者に寄せていいと個人的には思う。社会で使う英語は他でやるなり、大学入ってから社会に出るまでに特訓するなり、大学でやってる講座にでも行くなりすればいい。

…ただ、実用性のある英語(社会で通用する英語)を、またそれができる子の点数が上がることを目指して問題を作ってるとするなら、まだまだ先は長いのかもな、と思った。

 

本当に優秀な人は問題の質なんて関係なく満点取れちゃいますけどねぇーー!!

青春のシンボル

あまりに「自分の中の生ゴミをただ書いた」って感じの文章なので増田で投稿しようかと思ったけど、誰が読むものでもないし、増田のお作法もよく知らないし、まだ2つ目の記事ながら一応自分のスペースがあるので、こちらで書く。ちょうど、タイトルも排水溝だし。

 

***

 

歪んだ青春は癒えない。

 

私の場合はニキビだ。つい最近、その長年のニキビが治った。

いや、薬の副効用で治っただけだから、再発するかもしれない。寛解、が正しいか。

よくCMである、可愛い女の子の顔に赤い点がポツポツできて、憂鬱…というものではない。ブラマヨの吉田さんみたいなやつでもない。私のニキビは、Googleで「集簇性ざ瘡(閲覧注意)」と画像検索すると出てくるような類のものだ。

 

20年近く前から始まり、一番酷かったのは小学校卒業から高校卒業にかけて。中学までは、当然虐められまくった。なんかもう見た目が明らかに醜すぎて、捌け口にはぴったりだったのだ。清潔にして顔洗ってればニキビなんてできない。ニキビは不潔の象徴って言う人、大人ですらいるから。仕方ない。

声は出なくなり、自分は怪物だから周りに積極的に関わってはいけないと本気で思っていた。

自殺する気力は無くて、でも学校へ行きたくなくてなんとなく自宅の窓から飛び降りた。足の1本でも折れればと思ったのだ。無傷で服が汚れただけで、私は自傷すらできないんだなと思った。誰にも気づかれなかった。

 

親は、ある時はそんな顔だから友達ができないんだと罵り、ある時は顔のせいで頭もおかしくなったのかと言い、またある時はその顔じゃ就職や結婚に困るからと、愚痴りながらも何十万もする医者へ私を引きずっていき、それでも改善しないのでやっぱりお前が悪いと言い、また数ヶ月に一回くらいは突然「10年もすれば治るわ」と慰めてみたりした。蛇足だが、今はそれを初めて言われてから18年経っている。※1

 

それでもなんだかんだ言って環境を変えたい気持ちは燻っていたようで、高校は周りの誰も行かないところへ進学した。すると誰も虐めてこなくなった。

目立たない地味な高校生だったけど、幸せだった。高2のある日、廊下で「ちょっと!○○の声めっちゃ遠くからでも聞こえるよwww」と言われたときは衝撃だった。親は相変わらずだったけれど。

 

友達ができた高校時代から、私はニキビとの気持ちの上での付き合い方を少しずつ身につけていったと思う。

具体的には、中学時代までは親への恨みから自虐への変化、高校時代からは諦め、開き直り、何にでもこのままぶつかるしかない覚悟。

 

大学以降は、肌のボコボコやブツブツは隠せないけれど、凸凹具合はほんの少しずつ緩和し始めていた(集簇性ざ瘡→重症の膿疱性ざ瘡、くらいになってきた)し、とりあえず赤や紫や黒といった肌の色は化粧で隠せたので、相変わらず自分の顔は嫌いではあったけれど、他人から顔のことで罵られる恐怖はほぼなくなった。就活は厚塗りでどうにかしていた。何とか雇ってくれるところが見つかった。

 

そして今。最近あまりにも生理不順やPMSが酷くてピルを飲み始めたところ、3ヶ月目でニキビが消えた。1週間に1個できるかできないか、くらいのペース。※2

私は鏡が嫌いで化粧以外では殆ど見ないのだが、風呂上がりに髪を乾かしていてふっと自分の顔が目に入った。

ぼっこぼこのクレーターは相変わらずだけれど、「汚い”点”」が無い。赤みも薄くなりつつある。

もともとここ数年は加齢の影響もあり減りつつあったけれど、それでも必ず顔全体に大小合わせて最低20個は常にあった。最盛期?はニキビで顔面が埋め尽くされていて、ニキビのない健康な皮膚というのは顔全体の5%も無かっただろう。それが無くなったのだ。

 

人生の半分を大きく上回る時間を重症ニキビの悩みと過ごしていたので、それが突然ピタリと居なくなって、何かの呪縛から解き放たれた気分にはなった。

 

けれど、親に「10年経てばなくなる」と言われたときの自分の懸念は間違っていなかったと実感した。

 

「10年後の希望を見出したいんじゃない。『今』が辛いんだ。恋愛を始めることのできる子すらいるのに、得体の知れない妖怪として10代を過ごしている今が辛い。そうして過ごした10年後に仮にニキビが治ったとして、今進行しているように思える歪みは直るんだろうか」

 

やはりニキビが治っても歪みは直らなかった。今は客観的にみて「幸せ」と言えるであろう立場だけれど、それでも近しい人たちは私のことをときどき自虐的過ぎるという。私自身も、どうにもできないフラッシュバックのような黒いものがやってきたり、普通に考えれば当然できるはずなのに、過去のことにとらわれてどうしても一歩踏み出せないようなことがたまにあると感じている。コンプレックスはいつの間にか、「ニキビ妖怪顔」そのものから、「ニキビに歪ませられたと感じている(事実かどうかは置いておく)自分の人格」に変わっていた。

「キラキラした青春ではなかったけれど、あの頃があるから今がある」といえるほどの存在にもなっていない。やはり、虐めに遭わないで済むならその方が良いと思っている。

 

せめて、いずれは足枷では全くないただの思い出にできれば、そして同じことで悩んでいる人(自分の子供含む)に会ったとき、その人をそのまま肯定して受け入れてあげられたらと思う。

 

※1…私はもし将来子供を持つことがあれば(ニキビ面が遺伝したら可哀想なのであまり積極的ではないけれど、親兄弟にそこまでの重症ニキビ患者はいなかったので、完全に遺伝「だけ」で決まるものではないと思っています。病院の選択肢もここ5〜10年でかなり増え、ニキビ患者の精神的負担の軽減をきちんと考慮した治療を行う病院も日本各地にあります。ただそれに伴う副作用も考えれば、本当に必要な人のみが知るべきと思うのでここで紹介はしません)親を反面教師にしようとは思っていますし、自分を他にもあらゆる面でサンドバッグにしていた親を許せてはいません。いずれこのことについて然るべき治療を受けたいとも思っています。ただ、義務感からとはいえ高等教育まで受けさせてくれたことには確かに、本当に感謝しているし、あまりにも自分の子供が醜いことを親としても中々受け入れられなかったのだろうと今では考えています。

 

※2…ピルでニキビの症状が軽減する可能性があることは婦人科でも説明されます。ただ、ニキビが悪化する要因には非常に大きな個人差があり、また同じ人でも時期によって異なることがあります。なので、ピルでニキビは必ず良くなるとはいえません。

シーズン

クリスマスの時期はここ何年も何かしらものすごく切羽詰まることがあって、天皇誕生日だって12/24・25だって、楽しそうなひとたちを恨めしく思いながら何か作業するだけになっている。

だから、そもそもクリスマスっぽいものを見ないように、意識しないようにしてる。

おまけに今年は資金不足。

 

でも本当は、クリスマスケーキも、スタバのジンジャーブレッドラテも、グリューワインも、シュトーレンも、クリスマスソングも、赤と緑と白と金と銀の飾り付けも大好きなのだ。

 

見ないようにしてたって、ケーキ屋さんに行かないようにしてたって、スーパーのBGMも、TVCMも、ネットの広告すらも、クリスマスを必死に訴えてきて、元々好きなのに意識しないなんてムリ。

 

う〜〜、ロブションのシュトーレン2種類丸かじりしたーーーーい!!!!